

1.里田原歴史民俗資料館
![]() この里田原遺跡は、もともと大陸に近いという地理的環境から日本文化の起源を探るうえでも重要な位置にあります。“日本の米作り”が行われ始めた頃の木製の道具が多く出土していることから、全国的にも注目を集めました。 この館内に展示されている木製品のほとんどは複製品ではなく、弥生時代に使用されていたものそのままだというので、一見の価値がありますよ。 また資料館駐車場のすぐ側には、里田原の天満宮前でみつかった2基と荻田中野ノ辻遺跡(おぎたなかののつじいせき)の石棺が復元されています。 【お問い合わせ先】 里田原歴史民俗資料館 長崎県平戸市田平町里免236-2 TEL:0950-57-1474 |
2.平戸大橋
![]() この平戸大橋は田平町側にある田平公園の展望台や平戸大橋公園の下からなどいろんな場所から記念写真を撮影することができますよ。 また平戸大橋公園はトイレも整備されていますので、休憩をとるにはもってこいのスポットです。 |
平戸市街地へ入ったら、「平戸城」の案内板に沿って進み、平戸観光協会・レストハウスの駐車場に車を停め、石段をのぼり平戸城へ!(駐車場料金は無料です) |
3.平戸城
平戸市街地へ着いたら、平戸港交流広場に駐車場がありますので、そこに駐車してしばらく城下町を歩きながら散策してみましょう。(駐車場料金は2時間程度まで無料です) |
4.松浦史料博物館
![]() 館内には、オランダ製で江戸時代に松浦清(きよし)(静山(せいざん))が長崎で購入した地球儀や天球儀、異国船絵巻、室町末期の作の紺糸威肩白赤胴丸(こんいとおどしかたしろあかどうまる)など、貴重なコレクションが展示されています。 |
5.大航海時代の城下町
松浦史料博物館松浦史料博物館の後は、大航海時代の風情が残る城下町散策しながら当時の歴史を堪能しましょう。![]() ![]() ![]() ![]() ●平戸オランダ商館 江戸時代にオランダ東インド会社の日本における出先機関としてこの場所に設置されました。1609年に平戸に設置され、1641年に長崎の出島へ移転しました。現在は、当時商館の建物復元、環境整備を行い、新たな歴史スポットして人気を博しています。 ●オランダ埠頭 東インド会社が所有する帆船の荷卸し、積み込みをおこなっていたところです。 ●オランダ井戸 オランダ商館員用の井戸として掘られたものです。商館移転の際に破壊を免れた遺構として貴重なものです。 ●オランダ塀 石段に沿って続く漆喰(しっくい)で塗り固められた塀は、オランダ塀とよばれています。1609年(慶長14)から1641年(寛永18)までの間、この塀の東側にオランダ商館が置かれていました。 歩き疲れたら、一休み! ![]() 全国でも珍しい癒しのスポットです。観光途中に気軽に寄れるので、大人気です。 あし湯につかりながら、地元の人々とお話でもしながら交流するのも楽しみのひとつです。 |
さあ、ドライブの続きです。 |
6.鄭成功(ていせいこう)に関する史跡
![]() 【鄭成功について】 鄭成功は7歳にして中国に渡り、父・芝龍とともに明朝のために働きます。21歳の時、明の隆武帝より明王朝の国姓「朱」を賜ったことから、人々は彼を「国姓爺」と呼びました。鄭成功は「抗清復明」の旗印を揚げ不利な戦いを続ける中で、台湾に進攻し占拠中のオランダ人を追放しました。その後、政府を設置し法律を定め、開拓を行い、民を養い大いに時運の挽回を図りますが、病死してしまいます。 千里ヶ浜鄭成功記念公園から2分ほど歩くと、鄭成功が生まれた場所として知られる「鄭成功児誕石(ていせいこうじたんせき)」があります。 また5分程度進んだところには、当時の鄭成功の居宅跡には、「鄭成功記念館」が建てられ、鄭成功にまつわる資料が展示されています(館内撮影可)。すぐそばに今も残るナギの木は、鄭成功自らの手で植えられたといわれています。また、母子像のデザインは、鄭成功第11代子孫によるものだそうです。 この鄭成功記念館の近くには、「鄭成功廟(ていせいこうびょう)」があります。 ![]() ![]() ![]() ![]() |
さあ、ドライブの続きです。 |
7.生月大橋・道の駅「生月大橋」
![]() ![]() 平戸島と生月島をつなぐ大橋で、1991年(平成3)に開通しました。爽やかなスカイブルー色のこの大橋が、生月の入り口です。 大橋のたもとの道の駅「生月大橋」では、生月島の特産品が販売されています。小腹が空いたら、ぜひとも立ち寄ってみましょう。また、ここには多目的広場や散策道もあり、訪れる人々の憩いの場となっています。 |
8.平戸市生月町博物館 島の館
![]() またお守りとして重宝されてきた鯨のヒゲをはじめ、ここでしか販売されていない商品が並んでいます。 ![]() |