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 館内展示物の紹介

展示品目
●かくれ切支丹祭具 ●禁教令高札 ●メダリオン ●その他

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 1550年(天文18年)ポルトガル船が入港して以来、平戸は日本最初の国際港として繁栄しました。と同時にキリシタン布教の地としても栄え、特に生月(いきつき)・根獅子(ねしこ)では住民全員が信者になったと言われています。

 かくれ切支丹は、1587年(天正15年)の豊臣秀吉及び徳川家康のキリシタン禁止令等による弾圧時代に秘密の集団組織をつくり、仏教・神道を隠れ蓑にしながら今もなお信仰を続けている信者達のことをいいます。弾圧の目を逃れるために家お奥深く衣類や調度品をしまっておく暗い納戸(なんど)で密かに礼拝を行っていた人達は、「納戸神信者」ともいわれています。また神棚、荒紙棚もそれに祀り、後には祖先の教えとして信仰生活の中に納戸神と併列する位置をしめるに至りました。

 聖具と儀式の精神を指導する宣教師のいない長い年月は、信者を正統なキリスト教信仰から孤立させてしまい、全く独自の宗教を創りあげてしまっています。人達がいかに堅く口を閉ざし、秘密を守ってきたかは、ほんの対岸に住む根獅子における信仰様式の違いにも顕著にあらわれています。生月は、ジョアン次郎右衛門が「ここから天国はそう遠くない」と言って処刑された中江ノ島を聖地に、根獅子は大量の殉教者を出した根獅子ヶ浜を聖地とし、それぞれ異なった組織形態、礼拝行事、代表口伝のオラショ(祈祷文)を受け継いでいます。徳川時代から禁圧に耐え、信仰を守り続けた「かくれ切支丹」の聖なるご神体は、400年の時を経て、今日でも各家の納戸の中に大切に隠され、礼拝されています。

 納戸とは物置を指し、ここを寝屋にも用いました。
この納戸は窓のない薄暗い部屋で一般外客はもちろん、家族もめったに出入りしない部屋です。
 この納戸に、人目をかくれて、かくれ切支丹の母体が秘蔵され、祭られています。平戸市切支丹資料館館内では、この納戸神を中心に配置した納戸神さまを展示しています。

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