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 鼻切り・持双掛け

鼻切り・持双掛け


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 剣突の後、羽指が鼻切包丁を持って海に飛び込み、鯨に泳ぎ着くと網や銛柄を頼りに鯨の背中によじ登り、背中の最上部にある鼻腔に達し、包丁で抉って綱を通す穴を開けた。
この作業を『勇魚取絵詞』では「鼻の障子を切る」と言っているが、障子とは2つの鼻穴の間の肉で、そこに穴を開けるのは座頭鯨の場合であり、背美鯨は鼻腔の壁の上下方向に穴を開けた。開け終わると別の羽指が綱を持って鯨に泳ぎ着き、穴に綱を通した。
 生月島の伝承では、捕鯨は厳冬期に行われるため、羽指は褌1つの裸体にドンザを2枚重ねに着込んで待機し、作業が終わると火鉢を抱えて暖を取ったという。また羽指の女房は、亭主の身体がいつも脂ぎった状態で水を弾くようでなければ非難されたという。
 鼻切包丁(手形包丁、羽指包丁とも呼ばれる)は、鯨に綱を通す穴をあけるのに用いた刃物である。刃渡り30㌢程度、材質は軟鉄でできているので、鯨の鼻の穴にくじり入れやすいように、船縁で叩いて曲げる事もできた。柄は刃と真っ直ぐにつくタイプと、ピストルのグリップのように曲がって付くタイプがあるが、後者も鼻の穴にくじり入れる便利を考えての事と思われる。生月島では羽指が刃をくわえて泳いだという。
 鯨を納屋場まで運ぶ際には、持双掛けといい、2艘(4艘、6艘の場合もある)の持双船の間に持双柱(1本から4本の場合まである)を渡して固定し、そのまま鯨の上まで船を漕ぎ寄せて鯨を吊った。吊るのには、さきに羽指が鼻に開けた穴に通した綱も使うが、鯨の胸と腹の下にも羽指が潜って綱を渡し、船に括りつけて吊った。こうして鯨を確保してしまうと、もはや鯨が沈んで失われる心配がないので、剣や大切包丁で突いて殺してしまう。生月島の益冨組では、鯨が声を鳴らして息絶える時、念仏を3遍唱えてから、「三国一じゃ大背美捕すまいた」と唄ったという。