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 加工

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 解体後の鯨の各部位は、西海では納屋と呼ばれた施設群の中で、それぞれ製品に加工された。主な製品は鯨油と塩蔵肉のため、納屋の施設の中心はそれらの加工施設だったが、18世紀後半までには、鯨を余すところ無く加工するための諸設備が整えられていた。
 西海の納屋場を例に取ると、まず皮身や赤肉などの主要な部位は大納屋に運び込まれた。
大納屋の役割は、皮身の脂から油を取る事と、赤身から食用の塩蔵肉を作る事だった。そのうち鯨油の製造は次のように行われる。大納屋に運び込まれた大きな皮身は、魚棚という簀の子敷きの場所に運ばれ、魚切が大切包丁である程度の大きさに切り分けてから、壁際に並んだ小切場に回す。小切場には多い時には70~80人が横並びに座り、台上で小切包丁を用いて皮身を細かく刻み、前の切桶に入れていく。切桶の皮身片は、1列に並んだ竈の油煉釜(平釜)に順次投入されて煎られる。そうして溶けて液状になった油を、柄杓で釜の前に渡された樋に汲み取り、別室の大壷に流し込んで貯めて樽詰めにした。
 赤身や皮身(白肉)や尾羽毛(尾鰭)などは食用にするため、大切包丁で切って塩漬けにされた。明治時代には、油の含有量を検討したり、油や煎粕と、肉の相場を比較して、利益が上がる方に加工して出荷したという。
 膵臓、腎臓、胃袋などの内臓も、脂肪分が多いため鯨油の製造に回されたが、これらは小納屋で処理された。また小納屋では、骨についた肉を剥ぎ落とす作業も行われた。
 骨も大量の油分を含んでいたので、鯨油の製造に用いられた。骨から油を取る方法は西海では当初からは無く、明暦年間頃(1655~58)に始められたという。小納屋で肉を剥ぎ落とした骨は骨納屋に運ばれ、2人挽きのダンギリ鋸で引いて分割し、さらに骨はぎ斧や山刀で細かく割った。それをさらに30人ばかり並んだ小切揚者が削ってこけらにして、海水を入れた釜で茹でて油を煮出した。さらに煮出した後の骨片も、足踏みの臼でついて粉々にして再度煮て油を取り、残った骨粕も集めて肥料にした。
 筋は、筋納屋で包丁でこさいで水に晒した後、天日に干して乾かした。また髭も根本の肉をこさぎ取ってから保存した。