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 鯨の利用

鯨の利用


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 平安から鎌倉にかけての時代には、漂着した鯨を採油のために用いた記事がある。室町時代の後半には、例えば延徳元年(1489)の『4条流包丁秘伝書』に、鯨肉は鯉より格が上の食材として取り上げられたように、高価な食材とされていたようだ。
 本格的な捕鯨業が西日本を中心に各地に展開するようになった江戸時代の初めも、鯨の利用は保存に適し商品価値が高い鯨油に中心が置かれ、西海の突組の鯨油は遠く江戸まで運ばれていた。また最初は皮脂からのみだった鯨油生産が、内臓や骨をも利用するようになっている。鯨油の用途は当初は灯油(明かりの行燈用)だったと考えられるが、18世紀に入る頃には臭みがない麻油や菜種油の台頭で商品価値が低下し、代わって田に撒いて害虫を退治する農薬として用いられるようになった。18世紀後半には西国諸藩で虫害に備えて鯨油を備蓄するようになり、さらに大蔵永常が文政9年(1826)に刊行した『除蝗録』によって、その効用が広く知られるようになった。
一方で、食用としての鯨肉の用途も江戸時代に次第に広まり、寛永20年(1643)刊の『料理物語』をはじめとする多くの料理書に鯨料理が取り上げられるようになった。
さらに江戸時代後期に刊行された『鯨肉調味方』のような、鯨専門の料理書も登場する。明治時代に入る頃には、食用としての鯨の用途が重要になっていたようだが、需要は漁場周辺や大阪を中心に中部・北陸地方以西に偏っており、部位でも皮脂の需要が大きかったが、赤身や内臓各部、果ては性器まで食用に供された。
 ノルウェー式砲殺捕鯨法が導入された以降の近代捕鯨業時代には、鯨肉の需要特に赤身の利用も増え、終戦直後の食糧難解消には南氷洋捕鯨がもたらした鯨肉が大いに活用された。しかし処理方法の問題もあって鯨肉は下等な肉と評価され、東日本では漁場周辺などを除いて鯨食文化は根付くことはなかった。
 なおその他の部位の利用も拡大した。鯨髭は裃の型持ちや、からくり人形や文楽人形のバネに利用された。筋は木綿を叩く弓の弦に利用された。さらには油を煮出した後の骨粕は肥料となり、血さえも漁場周辺の農家に肥料として利用された。