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 司馬江漢と生月捕鯨

司馬江漢と生月捕鯨


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司馬江漢は、諸説があるが延享4年(1747)もしくは同5年生まれで、文政元年(1818)に没した。日本で初めて腐食銅版画(エッチング)を手がけた他、油彩で西洋の風俗や日本の名所風景を描いた西洋画家だったが、多彩な知識と旺盛な好奇心を持った人物だった。彼は、天明8年(1788)から翌寛政元年(1789)にかけて、江戸を発ち長崎旅行をおこなった。その帰路、江漢は平戸を経て天明8年の暮れに生月島に渡り、翌正月4日まで島に滞在している。その間は鯨組主である益冨家に逗留し、実際に鯨船に乗って捕獲や解体・加工の様子を観察したり、松本で大敷網の鮪漁を見物したり、島の最高峰である孩子岳(現在は番岳と呼ばれている)に登ったりしている。
 その時の見聞の内容は、寛政6年(1794)に刊行された『西遊旅譚』(後に『画図西遊譚』という名称で再刊行される)や『西遊日記』(文化12年・1815)に紹介された他、油彩画の『捕鯨図』水墨淡彩の『捕鯨図巻』などにも反映されている。また千葉市美術館に収蔵されている『日本風景図』についても、生月島の松本海岸から見た風景を左右反転させたものである可能性が高い。『西遊旅譚』の遠近法を駆使した肉納屋図などは、のちの捕鯨図説にも大きな影響を与えている。