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 オラショ

オラショ


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 キリシタン時代の宣教師の報告には、信徒達が教会で教義や祈りを熱心に覚えていたと
記されている。これらの祈りは禁教以降も連綿と受け継がれて今日に至るが、一般にオラ
ショと呼ばれ、今日も諸行事で信仰対象に贈られるお務めとして唱えられている。
 今日のオラショの文句は、慶長5年(1600)に出版された『どちりなきりしたん』
や『おらしょの飜譯』に見いだす事ができる。しかし今日、日本語以外にラテン語やポル
トガル語からなるオラショの文句は、意味不明の呪文として唱えられている。宣教師の書
簡にも、一部村の布教において、児童が速やかに祈りを覚えた事を賞賛する記事があるよ
うに、布教時代から祈りの習得は、必ずしも内容の理解を伴わない暗記の形で行われたと
思われ、形の継承は比較的容易であったが、教義を教える者との接触が断たれて以降、祈
りの呪文的性格が増大していったと考えられる。
 オラショは昔は暗誦する(本を見ずに唱える)形が普通で、壱部、堺目、元触集落では
現在も暗唱されているが、山田集落では現在本を用いて唱えている。なおゴショウ(後生、
御書、御誦詞)という呼び方もあり、壱部集落ではオラショ(オラッシャ)とは後述する
旋律を付けて唄われるもの(唄オラショ)のみを指す。
 ツモト行事などで普通唱える形は、30ほどの祈りで構成される一通り(壱部、堺目)
一座(山田)と呼ばれる形である。壱部、堺目集落では、一通りのうち十一カ条より前を
「元」十一カ条を含めた後を「先」という。なお山田集落の「半座」という唱え方は、元
と内容的には近いが、声を出さない。一通りのうちの一部を唱える形を壱部、堺目
集落では「六巻」といい、比較的小さな行事や個人の朝夕の祈りで用いる。なお元触集落
の一座は他集落の六巻に近い形であり、元触の六巻はキリアメマリアを唱える回数が少な
くなるだけである。壱部、堺目、元触集落では、六巻を基礎としてキリアメマリアを七百
回唱える長座(お七百)という形も唱えられる。また堺目集落では今日、六巻の中でキ
リアメマリアを63遍唱えると、一通りを唱えたのと同じ扱いにしている。
 オラショで旋律を持って唄われるものをうた唄オラショといい、壱部、堺目集落には「ラオ
ダテ」「ナジョウ」「グルリヨーザ」などラテン語聖歌を起源とするものが、山田集落に
も同様の「ウグルリヤ(御前様の唄)」の他に、「中江ノ島様(サンジュワン様)の唄」
「ダンジク様の唄」などの日本語の唄オラショがある。
 他にお授け(洗礼)や戻し方(葬式)などの際にのみ唱える特別なオラショもある。
 習得は、昭和初期頃までは、春の悲しみの入りから上がりの間の46日間(四旬節に相
当する)に、師匠を立てて口伝えで教わった。元触集落では習得期間の中に入山(始ま
り)中上げ(中間試験)下山(卒業)の3段階を設けており、口慣れする(オラショを覚
える)まで夫婦の交わりは禁じられていた。堺目集落では、師匠の家で毎日2時間習った
が、前日習ったのを座敷に座って唱え、師匠は横座から聞いて確かめたという。
 壱部集落では一通りのオラショを習得し、唱える事が出来る人をゴショウ人と呼ぶ。堺
目集落でも昭和初期までは一通りで習ったが、その後、六巻をまず習う形となり、いつ習
得しても良いようになった。また山田集落は昭和初期に本を見て唱えるようになっている。
山田集落だけに伝わる唄オラショ  「中江ノ島様の唄」  「ダンジク様の唄」



「中江ノ島様の唄」
ウー 前はな 前は泉水やなぁ

後ろは高き 岩なるやなぁ

前もなうしろも

潮で あかするやなぁ

ウー この春はな この春はなぁ
櫻や花かや ちるぢるやなぁ
又くる春はな

つぼむ 開くる 花で あるぞやなぁ

「ダンジク様の唄」
ウー 参ろやな 参ろやなぁ
パライゾの寺にぞ 参ろやなぁ
パライゾの寺とは 申するやなぁ
広いな寺とは 申するやなぁ
広いな狭いは 我が胸に 在るぞやなぁ
ウー 柴田山 柴田山なぁ
今はな涙の 先なるやなぁ
先はな助かる 道で あるぞやなぁ

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