島の館トップページアクセス・駐車場


記事一覧

 原始・古代に捕鯨は行われていたか?

原始・古代に捕鯨は行われていたか?

 本州以南の日本列島では、文献記録で遡れるのは、今のところ元亀年間(1570)頃
の伊勢湾・三河湾内での突取捕鯨法による捕鯨だが、それ以前いつまで遡って行われてい
たかについては意見が分かれている。ここでは、原始・古代の捕鯨に関係すると思われる
3つのポイントについて紹介してみたい。

1.つぐめの鼻遺跡の石銛

 長崎県田平町にあるつぐめの鼻遺跡は、平戸島と九州本土を隔て幅1キロに満たない平戸
瀬戸に面した、縄文時代前期から中期にわたる遺跡である。この遺跡からは、サヌカイト
製の大型の単体石銛や、大型の鎌崎型スクレーパーや石匙が多数出土している。石銛は西
海の沿岸部の遺跡から数点ずつ見つかった例はあるが、数百点単位で見つかった例はない。
平戸瀬戸は昭和20年代まで鯨が頻繁に回遊しており、江戸時代から昭和にかけて捕鯨も
行われ、石銛は捕鯨に用いられた道具と考えられる。縄文時代にも、平戸瀬戸のような好
適地に限って、捕鯨が行われていた可能性があるのではないだろうか。


2.鯨底の土器

縄文時代中期に九州で用いられた阿高式土器の中には、鯨の椎骨の間にある円盤形の脊
椎板という骨を製作台として作られたものがある。底に脊椎板特有のでこぼこ模様がつい
ていたため分かったのだが、脊椎板は回転させ易くでこぼこしているため、土器の製作台
としてうってつけだった。このような土器は、北部九州から熊本にかけて広く分布して
いるが、これは鯨の脊椎板が土器製作台という「商品」として流通したか、または肉や脂な
どの鯨製品が流通する際この土器が用いられた可能性が考えられる。


3.捕鯨の線刻画

古式捕鯨業時代に有力漁場だった壱岐では、郷ノ浦町の鬼屋窪古墳や大米古墳から、捕
鯨の線刻画が見つかっている。いずれも帆や櫂で進む船と、銛で刺された大きな魚のよう
なものが描かれており、船と比較しても大きな存在は、おそらく鯨だと考えられるが、す
でに綱付きの銛で鯨を突いて船を曳かせて疲労させる突取捕鯨法が行われていたと思われ
る。さらに平成12年に、壱岐・原の辻遺跡出土の弥生時代の甕棺の中にも、捕鯨の線刻
画と思われるものが確認されている。