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 生月島のかくれキリシタン信仰

生月島のかくれキリシタン信仰


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 明治6年(1873)のキリシタン禁制の高札撤廃後、再布教を開始したカトリック教
会に合流せず、潜伏時代の信仰形態をそのまま継続した元潜伏信徒が、平戸・生月島や外
海地方、五島に多く存在した。生月島においては、そのような信徒が、自分達の信仰を呼
ぶ固有の名称はないが、例えば今日のカトリックと区別する必要がある場合には、カトリ
ックを新キリシタン(新教)、自分達のを旧キリシタン、古キリシタン(旧教)と呼ぶこ
ともある。また信徒を指す言葉として壱部ではゴッシャという言葉を使うことがある。ま
た信徒以外の人々と区別する時のやや軽い言い方で「もんじゃもんじゃの仲間」という言
い方をする場合もある。もんじゃもんじゃとは後で触れるオラショを指す。
 この信仰及び信徒の名称については、学者など外部者が用いた隠れ(かくれ、カクレ)
キリシタン(切支丹)というのが、世間でもよく知られ、信徒も便宜的にこの名称を使う
事も多い。「隠れ」「かくれ」「カクレ」と表記は研究者によって異なり、片岡弥吉氏は
かくれを、宮崎賢太郎氏はカクレを支持している。一方この信仰研究の草分け田北耕也氏
は潜伏キリシタンという名称を用いている。漢字で「隠れ」と表記する場合、信仰を秘匿
していた部分に重心が置かれ、「カクレ」とカタカナ書きにすると、今日の隠れていない
状態に重心が置かれる傾向があるようだ。また宮崎氏は、明治6年以前の信徒を潜伏
キリシタン信仰、以降の信徒をカクレキリシタン信仰と区別されている。
信仰形態に限っていえば潜伏時代に成立した信仰形態が明治6年以降も
連続して継承されたと捉えるならば、法制度上の扱いなど外部との関係、あるいは実
質的な隠匿の有無に拘わらず、本質的な信仰形態の連続性を踏まえて、「かくれキリシタ
ン」という学術名称を用いるのが良いように思う。
生月島のかくれキリシタン信仰に限って言えば、16世紀後半の日本においてヨーロッ
パ人カトリック教宣教師らの布教によって成立したキリシタン信仰の信仰形態に起源を持
つが、江戸時代に入って本格化する禁教政策下、神仏に対する信仰と併存する事を余儀な
くされる一方で、カトリック教団との接触を断たれる事による教義の希薄化と裏腹に、地
元殉教者に対する尊崇を精神的な拠り所としつつ、キリシタン信仰当時の聖具からなる御
神体や、殉教者が没した聖地などを主要な信仰対象として成立する信仰だと定義できる。