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 網掛け

網掛け


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 一方、山見の合図を確認すると、網代で待機していた双海船は指導者の合図で網を張る。
網の張り方は、『勇魚取絵詞』によると、三結(双海船2艘からなる1組)の一結が鯨の予想進路上にまず網を張り、その後方に、別の二結がそれぞれ左右にずらして網を張った。
そのため中央は3重、その両側は2重、端の方は1重に張る事となる。1枚の網は18尋(32メートル)4方で、双海船1艘には網19反を積む(全長約600メートル、約2万平方メートル)。
西海の双海船は百石積みと言われる程大型であるが、船足が鈍るのを補うため古い勢子船などを用いた附船に曳航してもらった。西海では、継ぎ足し張りの必要がない長い網を大型の双海船に積み、一気に張っていく。しかし鯨網の元祖である紀州や土佐では、比較的小型の双海船で、最初に弓なりに網を張ったあと、残りの双海船が片側に継ぎ足し鯨を取り囲むように張り、それを二重・三重にする。西海の双海船の加子は、瀬戸内海方面の備後・田島、周防・室積などの漁民が雇われたが、西海の網掛突取捕鯨法はアイデアだけ紀州から貰い、具体的な方法は瀬戸内の大網のやり方を採り入れたようだ。
 鯨網は当初、藁で作られたが、脆弱なため耐久性に問題があり、直ぐに苧製の網に取って代わった。鯨が頭を突っ込む頻度が高い中層部分に新網を用いて破れにくくし、上層や海底の岩に引っかかりやすい下層は、破れて取れやすいように古網を用いた。また1反の網と隣の網は乳合と云う小縄で括って連結したが、鯨が掛かって引っ張ると、これが切れて鯨が被った網のみが離れ、残りの網は無傷のまま回収できるようになっていた。
 なお苧網は、水気を含んだままだと腐るため生月島では、海岸際の平地に直径50センチ程度の平石を敷き詰めた網干場に広げて干した。