一般財団法人 平戸市振興公社

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平戸市の歴史満喫コース

大航海時代の城下町・平戸。松浦家ゆかりの地としても知られていますが、平戸市の歴史はそれだけではありません。 もっと欲張って、平戸市の歴史を満喫しましょう!

1.里田原歴史民俗資料館

 弥生時代の低湿地遺跡である里田原遺跡から出土した遺物等の収蔵及び展示を目的として、1982年(昭和57年)11月に開館しました。
 この里田原遺跡は、もともと大陸に近いという地理的環境から日本文化の起源を探るうえでも重要な位置にあります。“日本の米作り”が行われ始めた頃の木製の道具が多く出土していることから、全国的にも注目を集めました。
 この館内に展示されている木製品のほとんどは複製品ではなく、弥生時代に使用されていたものそのままだというので、一見の価値がありますよ。
 また資料館駐車場のすぐ側には、里田原の天満宮前でみつかった2基と荻田中野ノ辻遺跡(おぎたなかののつじいせき)の石棺が復元されています。

【お問い合わせ先】
里田原歴史民俗資料館
長崎県平戸市田平町里免236-2
TEL:0950-57-1474

2.平戸大橋

 平戸島と田平地区を繋ぐ橋として1977年(昭和52)に開通しました。全長665メートル、海面からは30メートルです。
 この平戸大橋は田平町側にある田平公園の展望台や平戸大橋公園の下からなどいろんな場所から記念写真を撮影することができますよ。
 また平戸大橋公園はトイレも整備されていますので、休憩をとるにはもってこいのスポットです。

平戸市街地へ入ったら、「平戸城」の案内板に沿って進み、平戸市立平戸図書館の駐車場に車を停め、石段をのぼり平戸城へ!

3.平戸城

 松浦家26代鎮信は、慶長4年亀岡に「日の岳城」を築きました。
 しかし徳川家康は、豊臣秀吉と親交が深かった松浦家に疑いのまなざしを向けました。鎮信は、その疑いを払うため「日の岳城」を焼却、平戸6万1,700石と民を守りました。以来約90年間を「御館」で過ごしますが、30代棟となって1704年「平戸城」の再築を開始、1718年に完成しました。  明治6年廃城となり、昭和37年平戸市により復元されました。
 現在、平戸島南端の志々岐神社の社宝を中心とした平戸の古代の歴史や遣唐使時代の平戸、松浦党、幕末の歴史資料などを展示しています。
 天守閣からの眺望は素晴らしく、遠くは壱岐まで望むことができます。

 平戸市街地へ着いたら、平戸港交流広場に駐車場がありますので、そこに駐車してしばらく城下町を歩きながら散策してみましょう。(駐車場料金は2時間程度まで無料です)

4.松浦史料博物館

 1955年(昭和30)に開館した博物館で、松浦陞(すすむ)(如月(じょげつ))によって寄贈された松浦家伝来の貴重な資料等を中心に収蔵しています。建物はもと鶴ケ峰邸と称して1893年(明治26)に建てられた当主の私邸で、現在は国の登録文化財となっています。
 館内には、オランダ製で江戸時代に松浦清(きよし)(静山(せいざん))が長崎で購入した地球儀や天球儀、異国船絵巻、室町末期の作の紺糸威肩白赤胴丸(こんいとおどしかたしろあかどうまる)など、貴重なコレクションが展示されています。

5.大航海時代の城下町

 松浦史料博物館松浦史料博物館の後は、大航海時代の風情が残る城下町散策しながら当時の歴史を堪能しましょう。

●平戸オランダ商館
 江戸時代にオランダ東インド会社の日本における出先機関としてこの場所に設置されました。1609年に平戸に設置され、1641年に長崎の出島へ移転しました。現在は、当時商館の建物復元、環境整備を行い、新たな歴史スポットして人気を博しています。
●オランダ埠頭
 東インド会社が所有する帆船の荷卸し、積み込みをおこなっていたところです。
●オランダ井戸
 オランダ商館員用の井戸として掘られたものです。商館移転の際に破壊を免れた遺構として貴重なものです。
●オランダ塀
 石段に沿って続く漆喰(しっくい)で塗り固められた塀は、オランダ塀とよばれています。1609年(慶長14)から1641年(寛永18)までの間、この塀の東側にオランダ商館が置かれていました。

平戸温泉「うで湯・あし湯」

歩き疲れたら、一休み!
 全国でも珍しい癒しのスポットです。観光途中に気軽に寄れるので、大人気です。
 あし湯につかりながら、地元の人々とお話でもしながら交流するのも楽しみのひとつです。

 さあ、ドライブの続きです。 平戸大橋の方へ少し戻り、国道383号線を走りましょう。左手に海風を感じながら進むと、千里ヶ浜鄭成功記念公園が見えてきます。


6.鄭成功(ていせいこう)に関する史跡

 室町時代の末期、平戸は東シナ海貿易の中心地であり、明(中国)の海商の中にも、平戸に寄港し拠点を設けるものがいました。鄭芝龍(ていしりゅう)もそのひとりでした。海商の頭目となった彼は川内浦に屋敷を構え、平戸の女性(田川マツと伝えられています)との間に、鄭成功(ていせいこう)が生まれました。

【鄭成功について】
 鄭成功は7歳にして中国に渡り、父・芝龍とともに明朝のために働きます。21歳の時、明の隆武帝より明王朝の国姓「朱」を賜ったことから、人々は彼を「国姓爺」と呼びました。鄭成功は「抗清復明」の旗印を揚げ不利な戦いを続ける中で、台湾に進攻し占拠中のオランダ人を追放しました。その後、政府を設置し法律を定め、開拓を行い、民を養い大いに時運の挽回を図りますが、病死してしまいます。

 千里ヶ浜鄭成功記念公園から2分ほど歩くと、鄭成功が生まれた場所として知られる「鄭成功児誕石(ていせいこうじたんせき)」があります。
また5分程度進んだところには、当時の鄭成功の居宅跡には、「鄭成功記念館」が建てられ、鄭成功にまつわる資料が展示されています(館内撮影可)。すぐそばに今も残るナギの木は、鄭成功自らの手で植えられたといわれています。また、母子像のデザインは、鄭成功第11代子孫によるものだそうです。 この鄭成功記念館の近くには、「鄭成功廟(ていせいこうびょう)」があります。

 さあ、ドライブの続きです。 鄭成功に関する史跡の後は、生月大橋を目指して進みます。

7.生月大橋・道の駅「生月大橋」

 平戸島と生月島をつなぐ大橋で、1991年(平成3)に開通しました。爽やかなスカイブルー色のこの大橋が、生月の入り口です。
 大橋のたもとの道の駅「生月大橋」では、生月島の特産品が販売されています。小腹が空いたら、ぜひとも立ち寄ってみましょう。また、ここには多目的広場や散策道もあり、訪れる人々の憩いの場となっています。

8.平戸市生月町博物館 島の館

 江戸時代には日本最大規模を誇った益冨捕鯨の展示をはじめ、長い迫害に耐えて受け継がれたかくれキリシタンの信仰、豊かな自然の中で営まれた漁業や農業の姿が展示されています。他では見ることのできない生月の魅力を知ることができるので必見! また館内はバリアフリー対応です。
 またお守りとして重宝されてきた鯨のヒゲをはじめ、ここでしか販売されていない商品が並んでいます。

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