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 生月学講座 No.087「鯨肉調味方」

 生月島では今日でも、宴席などで鯨肉を用いた料理をよく見かけますし、たまに定置網に混獲された鯨の肉が売りに出されると、販売所の前には長蛇の列ができます。生月島を漁場とした捕鯨が一応終了したのが明治30年代で既に百年が経過し、平戸瀬戸で生月島民が参加して行われていた銃殺捕鯨も、最後の鯨が取れたのが昭和初期で、約80年経過しているのですが、鯨食文化は命脈を保ち続けています。
 江戸時代当時、益冨組の本拠地として文字通り「捕鯨の島」だった生月島では、様々な鯨料理が食されていました。益冨家は天保3年(1832)に、世界的にも珍しい鯨専門の料理書『鯨肉調味方』を制作していますが、この本には「ただ生月島にて用い来れる調和の方の大概を記したれば」という記述があり、当時生月島で食べられていた鯨料理を取り上げている事が分かります。この本では、70程の鯨の部位を順次紹介しながら、部位毎に様々な調理法を列記していますが、内臓のように漁場近辺でしか入手・利用し難い部位の料理法についても紹介していて、素材確保が容易な漁場周辺では、完全利用に近い鯨食文化が存在していた事が分かります。
 紹介された部位を大別すると、皮脂肉など表面近くの部位と、赤身、内臓・骨など奥の部位からなります。また一つの部位についても、生の状態だけでなく、塩蔵赤身や煎滓のように保存用に加工されたものや、鯨油製造で生じる副産物についても、それぞれ料理法を記しています。さらに料理に用いない骨などについても鯨油や肥料としての利用法を記し、果ては鯨に寄生する虱(クジラジラミ)、セ(フジツボ)、牡蠣についても紹介する念の入れようです。
 近年は、冷凍技術の発達で赤身がよく食べられますが、江戸時代以来の伝統的な鯨食文化を有する地域では、皮下脂肪である皮脂肉の部分が好んで食べられていました。但し『鯨肉調味方』によると、脂肪分が余りにも多いものは食べられないため、鯨油をある程度煎り出したものや、脂肪分が少ない片皮などの部位を選んで食したそうです。また赤身が美味しい鯨種は、生では背美鯨、塩蔵したものは座頭鯨だという記述もあります。
 料理方法を概観すると、当時は産地だからこそ出来た、生の皮脂肉を薄く切って生醤油や煎酒、三盃酢につけて食べる刺身のような食べ方や、薄く切った赤身を一旦湯通ししてから生醤油や三杯酢につける、しゃぶしゃぶのような食べ方も行われていました。また塩漬けの皮脂肉は、薄切りにして水で塩抜きした後、熱湯をかけ、さらに冷水で何回か洗ってから、酢ぬたや生醤油、いり酒につけて食べましたが、これは今でも生月島で食べられている「鯨のゆかきもん」という料理そのものです。焼料理では、既に紹介した「鋤焼」や「煎焼(なべやき)」の他に、味噌漬けにした生の赤身肉を焼く「味噌焼き」や、皮脂肉を藻に包んで焼く「藻焼」、塩蔵の赤身肉を焼いたあと湯に浸して塩抜きしてから食べる、現在の赤身の塩鯨の食べ方と同じものも紹介されています。他にも煮る、揚げる、汁物など、様々な料理法による鯨料理が、数多く紹介されています。
                              (2010年10月)