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 生月学講座 No.083「池祭」

 稲を育てるのに欠かせないのが水です。生月島は面積も狭く山も高くないので、豊富な水量を持つ川はなく、北部の「うこの川」と南部の「神の川」がわずかに目立つ程度です。そのため、かつて水田は谷筋や湧水が得られる地滑り地などに限られ(キュウタ)、斜面や台地上の殆どは畑でした。小型の溜池を築いて農業用水を確保する事は古くから行われていましたが、大正3年(1914)の山頭池(山田地区)や有田池(堺目地区)を皮切りに、貯水量5万㌧を越える大型の溜池が作られるようになったことで、台地や斜面地の灌漑が可能となり、多くの畑地が水田(シンタ)に変えられました。

 水路を流れ出る溜池の水の管理は、土地改良区から雇われた「水番」という人が行います。水番さんは、水を落とし始める6月頃から、稲が生長して水を必要としなくなる9月頃までの間、水量が適当か、詰まりがないか、毎日水路を見回ります。また池祭など水に関わる祭事も水番の役目となっています。

 平成22年度、山田土地改良区の池祭は、水を落とし始める前の5月31日に行われました。朝から3人いる水番さんの家の一軒を宿にして棚や供物の準備をし、午前9時過ぎから水番さん達と神官様(比売神社の金子宮司)が、神の川水系にある落木場池(大正15年築造・貯水量164,500㌧)、山頭池(同大正3年・93,000㌧)、御酒壷池(同大正初期・5,000㌧)の順に回ります。  

 最初の落木場池に着くと、東岸にある配水施設(堤の底にある弁を開閉するバルブがある)の近くに竹の棚を作ります。4本の女竹を四角に地面に立て、下から80㌢くらいの所に男竹を割り紐で編んで作った四角の棚を付け、棚の中央にも、先に短い藁束を付けた女竹を立て、藁束に御幣と「罔象波賣大神(みずはのめのおおかみ)」と書かれた紙の旗を付けます。また柱竹のうちの一本の根本に11本の竹筒を束ねたサゲダルを結び付け、酒を注ぎます。棚の上にはシトギという米粉をこねて作った団子を12重ね、棚の下の地面には大きなシトギを1つと、米、塩、オゴク(御飯)、膾、イリコなどを供えます。そして竹棚の前に神官様が座って神事を行います。終わると水番さんが、施設の近くにある河童封じの猿の石像を祀った石祠の上に米や御飯を置き、シトギを水面に投げますが、その時にガッパさんに仕事の無事を祈る文句を唱えたりします。山頭池でも同じように棚を立て、神事を行います。

最後に回る御酒壺(ごしゅつぼ)池は、老朽化のため現在はあまり使われておらず、配水施設も、ユビ(井樋=堤に縦に付いた管)に付いた木栓を抜いて行う昔のスタイルのままです。ユビ近くの堤の上に竹棚を立てて供物を供えて神事を行い、終わると一同で御神酒をいただき、スルメやオゴク、膾とともに、米粉を練って茹でた団子に砂糖をつけたものを食べますが、この団子を食べると河童除けになると言われています。昔の水番さんは、水中のユビを抜いて配水しましたが、時として、吸い出される水に引かれて溺れる事故も起きたそうです。そうした水の事故を水の精霊である河童の仕業と考え、団子を食べたり河童の天敵とされる猿を祀って水難を避けようとしたのでしょう。最後は宿に戻り、酒宴を行って行事を終えました。