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 生月学講座 No.072「生月島、平戸西岸のかくれキリシタンの組織」

 長崎県下のかくれキリシタン信仰は、これまで、戦国~江戸時代初期にかけての布教容認期にヨーロッパと同じような精神性や形を有していたキリシタン信仰が、禁教時代に大きく変容して今日の姿になったと捉えられてきたところがあります。しかし現在のかくれキリシタン信仰の諸要素と、宣教師報告に記された信仰内容を比較すると、オラショや聖水信仰など、かなり共通する部分がある事が分かってきています。
 県下のかくれキリシタン信仰は、その信仰内容の特徴から大きく生月・平戸系と外海・五島系に分けられます。前者はお掛け絵などを御神体として信仰する垣内・津元という組を主体とする他、お札という木の札(マリアの生涯を十五の場面で捉えた十五玄義に由来する)を御神体としたコンパンヤ・小組も存在しています。一方後者は、バスチャン暦という教会暦を守る事を信仰の主軸に据えた組が存在しています。同じかくれキリシタン信仰でも両者には大きな隔たりがあるのです。
しかし平戸・生月系の中でも、地区によって組織のあり方に違いがある事も分かってきました。生月島の壱部、堺目、元触、山田では、数軒の家で構成されるコンパンヤ(小組)で月1回~年数回、お札を引く「おしかえ」の行事が行われ、複数のコンパンヤが纏まって構成された垣内(津元)では、垣内の御神体(御前様)を祀る津元で、津元の戸主である親父役とコンパンヤの代表である役中が、年間を通して様々な行事をおこなっています。また垣内やコンパンヤほど明確ではありませんが、例えば山田では、触という地区単位で御爺役という洗礼を行う役職が置かれ、集落全体の御爺役と親父役が集まって「風止めの願立て」「風止めの願成就」「ハッタイ様」などの行事も行われていました。
 平戸島西岸の春日、獅子、根獅子などにもお札の組が存在し、おしかえと同じような行事が行われてきました。しかしこの地域には生月島の垣内に相当する、御前様を祀る組織は確認できません。お掛け絵などは残っているのでかつて存在した可能性は完全に否定できないのですが、生月島のようにお札の組との関連についても確認できません。
 根獅子にはかつて集落単位の組織が存在していました。「辻元様」という最高指導者が居り、年間の行事は辻元様の家で「水の役」が参加して行われました。水の役は根獅子の4区(中番、美野、崎区から各2名、松山区から1名)から7名が選出され、「お名付け(洗礼)」や元旦早朝に聖水を採取する「お水取り」行事を行いました。また他に行事の賄いなどを行う「辻の小役」という役職が、各区から1名(計4名)選出されました。根獅子の組織は、洗礼を行う役職者で構成されている点で、生月島山田の集落単位の組織と(指導者は居ませんが)共通する所があります。なお根獅子にも3~8軒単位で構成されるお札の組「慈悲仲間」が複数存在しますが、この組は前述した集落単位の組織とは結びついていません。
 このように生月島、平戸島の組織のあり方を見てくると、もともと組としては①集落単位、②垣内、③コンパンヤの3つの形が存在し、それらの組み合わせによって各集落の組織が成り立っている事が分かってきました。