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 生月学講座 No.056「波戸漁民と生月島の定置網」

 佐賀県鎮西町で調査していた時、波戸岬にある波戸集落の樋口盛雄さん(大正11年生)と山口重美さん(昭和12年生)にお話を伺う機会がありました。お二人とも生月島の大敷網(大規模定置網)で働いた経験があり、特に樋口さんは20年前後にわたり加瀬川、正前、影向松、白石の漁場で働かれ、副専長や会計も務められたそうです。
波戸の人々がいつ頃から生月島に来るようになったか分かりませんが、昔から何人かで仲間を組んで、西海各地に出向いて定置網を請け負っていたようです。生月島には樋口さんの父親も働きに来ていたそうで、昭和30年頃には生月島関係の大敷漁場全体で波戸の人が60人はいたそうで、他の、神集島や湊から来ていた人は僅かだったそうです。波戸にも定置網はあったのですが、面白いことにそれには五島方面などから働きに来ていたそうで、波戸の人は定置網の本場である生月に行く方が良いと思っていたそうです。
毎年、盆前から前細工(準備)にかかり、竹を束ねた浮き、網、綱、重りなどを整えます。お盆は波戸で過ごし、17日頃に生月から来た迎えの船に乗って出発しますが、その際は波戸のお宮の前の海で、大漁と無事を祈願して3回船をまわしました。生月の納屋に着くと、太鼓や芸者も呼んで盛大に「納屋入り」の宴会をしました。翌日から網入れなどで忙しく働き、準備が出来ると操業を始めます。正月も、ハツタビと言うこの年から参加した若者だけは波戸に帰りますが、他の人は休まず、台風以外は毎日働き、4~5月にキリアゲ(漁期休み)を迎えると宴会をして、波戸に戻ると田植えなどを片づけました。
波戸の人達は納屋に寝泊まりしました。5時に起床し「朝もち」(朝の操業)をしますが、その前後に朝飯を取りました。朝もちを終え、海上で漁獲を運搬船に乗せて出荷してしまうと、陸に戻って一休みして、昼飯を食べた後3~4時頃から「夕持ち」(夕方の操業)にかかり、7時過ぎに晩飯を食べて風呂に入った後は、遊びに行ったり、就寝するのが日課でした。大変なのは秋アゴ(飛魚)の時期で、シイラが網に入るとアゴを追い散らすため、船を沖に留めて頻繁に網を上げなければならず大変だったそうです。
樋口さんが印象に残る生月の思い出を話してくれました。会計を持っていたある正月、つけ売りした魚の代金を回収して回っていると、どの家でもお茶の中に餅を入れたものを出して接待してくれるのですが、波戸にはそのような食習慣がないため、しまいには食傷してしまって難儀したそうです。また波戸の人はガメ(海亀)を好んで食べますが、ある時網に入ったので早速首を切ろうとしていると、涙を流す様子を見て網主の白石さんが「逃がせよー」と言ったそうです。それで樋口さんが、逃がすから御神酒を1升出すよう白石さんに言い、生月の習慣どおり亀に飲ませて「祈大漁満足」の木札を付けて放しました。しかし樋口さんは亀の習性を知っていて、再び網に入ったのを見ると、今度はさっさと引き上げ解体して煮てしまい、さっき貰った酒を飲みながら食べてしまったそうです。
生月は楽しかったそうですが、キリアゲで波戸に帰る時はやはり嬉しく、アガリフネという帰りの船が波戸に着くと、奥さん達が浜で握り飯を作って迎えてくれました。一年近く離れていたので、成長した我が子を見分けられなかったこともあったそうです。