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 生月学講座 No.052「船祝いと中江ノ島」

 生月漁協の新しい定置網船である第18生漁丸が生月に廻航されてきました。私は生月漁協さんのご好意で、同船の船祝い行事を観察させていただきました。
朝、船が壱部の漁港前まで来ると、そのまま北に向かって名残崎の沖で3回右に旋回しました。またこのような時は、北島三郎や鳥羽一郎など、海関係の演歌を流して景気付けをするそうです。船を港に着けると、加悦宮司さんが船祝いの神事を執り行い、神事が終わると餅撒きで賑わいました。なお昔から、新船ができると中江ノ島にお参りする習わしがありましたが、この日は天気が崩れそうだったため、後日に延期されました。
4月6日の朝、壱部のかくれキリシタン信者の中でゴショウニンと呼ばれるゴショウ(オラショ)を唱えることができる方を3人乗せ、第18生漁丸は中江ノ島に向かいました。行きがけの船の中で着物姿の3人は操舵室に座り、島に向かう間にロッカンという5分程度で済むオラショの唱え方をしました。これはエレンジャ祓いといい、かくれキリシタンの信者以外の人が中江ノ島に上がるのを許して貰うための祈りです。
 中江ノ島の沖に到着すると、先行していた小ぶりの向船(むこうぶね)に乗り移り、さらにその船が曳航してきた天満船に乗り移って島に上陸する事になりました。この日は曇りでしたが、やや強い南風が吹いていて、お水取りの場所である南岸に上陸するのには良い条件ではありませんでした。しかし定置の従業員さん達の熟練した櫓さばきで、足元も濡らさず岩場に上陸する事ができました。第18生漁丸はそのまま沖に待機します。
 信者の方々は、草履を脱いで裸足になって上陸しました。最初に、昭和初期に作られた御堂にお参りした後、祭場である断崖の裂け目の前に蝋燭、杯、刺身を盛った小皿を3つずつ置き、岩壁の水が染み出しそうな場所に萱を刺し、空の一升瓶の口に繋げてお水を受けるようにしました。そして茣蓙を敷いて正座すると、一通りのゴショウを唱えました。唱え終わると、お神酒をいただき、瓶にたまったお水を回収して戻りました。船主さんも、やはりお水が出た方が、祈願が神様に聞き届けられたような気分になるそうです。
中江ノ島については、益冨家の「先祖書」に興味深い記事が出てきます。益冨家は捕鯨業に従事する前は畳屋を業としていましたが、当時の当主である黒木又左衛門景正が、ある日、生月島から平戸に船で畳を運ぶ途中、中居(江)ノ島の付近で「異形(いぎょう)の物」つまり神様が現れて、彼にこう告げます。「家を富ませたいなら、まず鰤網をやりなさい。そうすれば家は子々孫々に至るまで益々富み栄えるでしょう」、こう言い終わると海中に消えました。彼はそれを信じて鰤網を興し、彼の子供・又左衛門正勝はそれで得た利益で鯨組を興して成功し、平戸の殿様から伝説に因んだ益冨の名を拝領します。
 元和・寛永の殉教地であり、かくれキリシタンの聖地となっている中江ノ島の神のお告げで家が繁栄したとする益冨家の伝承は、漁民による中江ノ島信仰が江戸時代まで遡ることを示していて興味深いものがあります。