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 生月学講座 No.039「三回まわり」

 以前県からの依頼で,宇久島の神浦で夏におこなわれるヒヨヒヨ祭の調査をおこなった事があります。この祭は,神浦の氏神・厳島神社の御輿を船に乗せて,夜,沖合の瀬を巡るのですが,出港の際に御座船と随伴船が港内を三回右まわりしてから出ていくのに興味を覚えました。この三回まわりは,海という異界でおこなわれる行事が始まる際の境界儀礼と思ったのです。祭礼時の三回まわりの事例は他にもあり,例えば平戸市宮ノ浦の志自伎神社の例大祭では,地都宮に遷座していた御輿が沖都宮に戻った後,宮司以下参加者が本殿の回りを三回右まわりします。この場合は,行事が終わる際の境界儀礼と考えられます。祭礼に際しては,聖なる時間と,日常の時間とを区分する必要があるのです。
生月島では,まき網船団が出漁する際には,港口で三回右まわりする事がおこなわれています。古老に伺うと,毎回出航の時おこなうのは壱部浦で,舘浦では,東北出漁など長期の出漁に限っておこなっていたそうです。また地先の海が漁場で毎日出漁していた和船巾着網の頃には,おこなわれていなかったようです。そうすると,家族と暮らす期間と,海上で漁に従事する期間がはっきりと分かれてから,時間的な境界である出港の際におこなわれるようになった境界儀礼だと考えられます。
 昔の古式捕鯨業も,今日の遠洋まき網に似た操業形態を取っていました。冬の初め,全船団うち揃って漁場に向かい,春までの漁期中は,全員納屋場に起居しながら捕鯨に専従していました。ならば生月島の益冨組も,漁期初めに三回まわりをして出漁していたかどうかが気になりますが,残念ながら手元の資料では確認できません。ただ呼子の鯨組・中尾組の幕末の操業を描写した『小川島鯨鯢合戦』には,出漁時,組主・中尾氏の館の前で,双海船(網船)を中心に据えて各船が三回右まわりをしてから,納屋場のある小川島に押しわたった様子が記されています。これによって専漁期間がある漁業における三回まわりの儀礼が,すでに江戸時代からおこなわれていた事が分かります。なお舘浦では,まき網船の新造船が初めて入港する際に,比売神社の下で三回右まわりをしていたそうです。これは,新船の誕生に際しておこなわれる境界儀礼で,それ以降,舘浦の船と氏神様に認知して貰い,その加護を受ける意味があると考えられます。 
 また,生月でも良く知られているものとして,葬式の際の三回まわりがありますが,この場合は左まわりで,祭礼や出漁の際とは逆回りにしています。壱部では家から出棺する際に庭先で三回まわってから火葬場に向かいます。一方舘浦では,お寺で告別式をしたあと,境内で三回まわってから墓地に納骨に向かうようです。壱部と山田で,火葬の時期や葬儀の場所などで違いはありますが,共通しているのは,葬儀が終わって野辺行列が出立する時に三回まわりをしている事です。この三回まわりの意味は,生者と死者を分かつ境界儀礼であり,故人がこれ以後,明確に死者の世界に入ることを象徴しており,家から出立する際に茶碗を割るのと,同様の意味でおこなわれていると考えられます。
人間の暮らしの時間の中で,節目(境界)をきちんと持つ事はとても大事な事です。節目によって気持ちを切り替え,新しい状況に適応していけるからです。