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 生月学講座 No.019「スキヤキのルーツは生月島?」

 生月では現在も様々な鯨料理が賞味されていますが、取材で良く取り上げられるテーマとして、鋤焼のルーツ探しというのがあります。
 生月と鋤焼の関係を記す資料として、江戸時代の終わり頃、益冨家が制作した捕鯨図説『勇魚取絵詞』に付録としてついている『鯨肉調味方』という鯨専門の料理書があります。その黒皮の項には「酒にてときたる味噌、又は生醤油を付て、鋤焼にすべし。鋤焼とは、古き鋤のよくすれて鮮明なるを、おき火の上に置わたし、それに切肉をのせて焼をいう。鋤にもかぎらず、鐵器のよくすれて鮮明なるをもちいるべし」とあります。また赤身の項にも「鋤焼にしてよし」とあり、これらが、鋤焼という名称が使われた最も古い事例になっているからです。つまり、まずは言葉としての鋤焼の起源が生月であるわけです。しかしこの鋤焼の料理内容をみると、黒皮や赤身を、味噌や醤油を塗って平たい鉄の上で焼くという、何だか今の焼肉に近いような料理である事が分かります。
 また『鯨肉調味方』には、黒皮、簀子、赤身、吹腸などの食べ方として、煎焼(なべやき)という料理が出てきます。この漢字をそのまま読むとイリヤキと読めますが、生月では昔から、肉を焼いて様々な野菜と一緒に煮込んだ料理をイリヤキと呼んでいました。使う肉は鯨以外に、鶏肉や大羽鰯、鯖の場合もありましたが、特に、鯨肉が入手しやすかった昔は、鯨のイリヤキがよく作られました。また今でも白山神社の総代さんの寄りには、鯨のイリヤキが出されるそうです。
 一方、壱部浦の尾崎常男さんに伺ったのですが、イリヤキとは別に「鯨のジリジリ」という料理があったそうです。イリヤキ同様、鍋を使うのですが、まず最初に脂が多い皮身で熱した鍋の上に油をひいてから、赤身を焼きます。皮身の油がはぜてジリジリ音がするところから名前がついたようで、さらに野菜を入れて煮込みますが、イリヤキ程には汁気は多くなかったそうです。
江戸時代にも、猪や鹿、兎などを狩って食べる事はあったのですが、一般的に四つ足の獣を食べる事は、仏教で言う殺生にあたるとして嫌われていました。牛は農耕や運搬の大事な担い手で、豚は明治に入るまで沖縄などを除くと飼育されていませんでした。日本人が牛肉を食べ始めるのは明治に入ってからで、東京などでは牛鍋という料理が流行しています。鯨は、多分にこじつけた所もあるようですが、江戸時代には魚の範疇に入れられ、漁場がほど近い近畿以西ではよく食べられていました。しかし関東以北の地方では、捕鯨漁場が殆ど無かったため一般的でなく、その上戦後の食糧危機の際に処理が悪い鯨肉を食べた経験から、鯨肉を不味いと思っている人も多いようです。しかしながら漁場を控え、内臓を含め新鮮な鯨肉が特に入手しやすかった生月の人々は、昔から各種の鯨料理に舌鼓を打っていた事は間違いありません。
 仮説ですが、鯨のジリジリは『鯨肉調味方』にある鋤焼に、鯨のイリヤキは同じく煎焼に繋がる料理で、どちらも今日の鋤焼のルーツになるのかもしれません。その辺を強調しながら、鯨の鋤焼その他の鯨料理を売り出せば、結構観光の目玉になると思うのですが。