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 生月学講座 No.167「かくれキリシタンの教義理解」

かくれキリシタンについては、取材や研究者の調査の依頼などを多く受けますが、信者の方の教義の理解について訊ねられる事もよくあります。質問する側の前提として、キリスト教徒ならば聖書の内容やそこで示されている教義についてある程度知っていて当然という認識があるようですが、信者の方からは「よく分からない」という答えしか無いため、物足りなさを感じられる場合もあるようです。従来の、かくれキリシタン信仰は禁教期の変容の所産という認識に立つと、キリシタン信仰の頃は教義を理解していたが、禁教によって宣教師がいなくなった事で、だんだん分からなくなっていったと解釈されました。宮崎賢太郎氏は『カクレキリシタンの実像』の中で、キリシタン時代にも、唯一絶対の神の存在を説くキリスト教の教義について真に理解し実践することができた信者は殆どいなかったと述べていますが、こうした状況についても原因は信者側の無知にあったのではなく、当時のカトリックの布教のあり方にあった点を理解する必要があります。
 深井智朗氏の『プロテスタンティズム』によると、中世のヨーロッパでは、カトリックを信仰する領主の領地に生まれた子供は、自動的に幼児洗礼を受けてカトリック信者となるのが普通でした。このように領民の信仰が領主に規定される形は、日本で布教が行われていた16世紀当時も一般的で、例えばドイツでプロテスタントを広める動きが盛んになり、カトリックとの対立が激化した頃の1555年にアウグスブルクで開かれた帝国議会では、神聖ローマ帝国内の各領邦においては、領主が自領の宗教(カトリック、プロテスタント)を決定する事ができるという取り決めがなされ、両勢力の融和が図られています。これによりプロテスタントの存在が公認されたのですが、肝心な点は、宗教を選択する自由は領主にあって領民には無かったという事です(その後プロテスタントの中から、信者が主体的に宗派や帰属する教会を選ぶ洗礼主義の動きが出てきます)。いずれにせよ1558年と65年に籠手田領・一部領で一斉改宗を行った宣教師達は、ヨーロッパと同様、キリシタン領主の領民はキリシタンになるのが当然だと考えていたと思われます。
 ルターによって始まったプロテスタントの運動の根幹には、信仰の中心に聖書の教えを据える事がありましたが、そのためには聖書を一般信者も読んで内容を理解する事が必要でした。そうした考え方に従ってドイツ語訳の聖書が作られ、印刷技術によって広く普及するのですが、他方、カトリックにおいては聖書は稀少な上、庶民が用いないラテン語で書かれていたため、一般信者が聖書を目にしたり読む事はなく、内容の解釈も聖職者のみに委ねられていました。その状況はキリシタン時代の日本でも同じでした。一斉改宗された領地の子供は幼児洗礼で自動的にキリシタンになりましたが、彼ら一般信者はミサに参加したり教義に基づく規則を守る事で信仰と繋がっていました。信者が唱えるオラショも教義を理解するためのものではなく、『どちりな・きりしたん』に記されているように、神に信者の思いを伝える目的で唱えられました。教義はミサの際に宣教師が説教する中で示されるもので、一般信者が細かく教義を理解する事など、もとより望まれていなかったのです。つまりキリシタン信仰をそのままの形で受け継いだかくれキリシタンの信者が教義に詳しくない状況も、本来の姿を示しているに過ぎず、信仰の退化を示すものではないのです。(2017年6月)