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 生月学講座 No.152「益冨家恵比須神社とクスノキ」

壱部浦の益冨家住宅(県史跡「鯨組主益冨家居宅跡」)にある恵比須神社は、益冨家の屋敷神として文政8年(1825)に建立されました。当時は益冨組が生月島、壱岐、五島灘で網組5組を操業させ、日本最大の規模を誇った時期でした。恵比須神社の本殿(霊殿)は、当時の益冨組の栄華を反映するように、上部には精巧な木組みを設け魚や龍などの精巧な彫刻を配し、大変優れた造形の社殿遺構と評価されています。嘉永5年(1852)という早い時期に覆屋が設けられた事も、良好な状態で保存された理由で、平成28年2月には単独の建物として、長崎県の有形文化財に指定されました。
平成27年度には老朽化した旧覆屋に代わり、頑丈でやや大型の覆屋の整備を、県市費の補助事業で行っていますが、前年度には本殿の調査が行われています。その際に用材の調査も行われていますが、欅(ケヤキ)とともに楠(クス)が使われている事が分かりました。改修工事にあたられた棟梁の村上さんによると、専門家立ち会いのもと見えない部分の破損材を少し鋸で切ったのですが、独特の香りがしたので楠だと分かったそうです。実は楠は、25年度に改修した益冨家の御成門(殿様専用の門)の柱にも使われていて、あまりに太い柱だったので、やはり修繕のために切るまでは分からなかったそうです。
楠はクスノキ科ニッケイ属の暖地性の常緑高木で、日本列島では九州に多く生えていて、神社の境内などには時に千年を越す巨木も見られます。江戸時代には防虫剤などに用いる樟脳を、楠の葉や木っ端を蒸し、水蒸気を結晶化して作っていました。江戸後期に著された『平戸咄』には、楠などの有用材に関して、次のような記述が見られます。
「中西国ノ諸国ニハ兎角赤地ハケ山多シ。平戸御領ニ至テ木立ノ宜敷事格別也 松杉楠、ハジ、カシ、ヒョウトン、タブ、椎、ユス、大槇、磯ヒサカキ、ツル柴、檜。中ニモ楠松杉ヲ御用ノ三木ト云テ大切ニス。楠ハ一寸八分廻リニナレハ御帳ニ載ル。御帳木ノ内松杉ヲ戴タル者ハ遠島也。楠ヲ伐タル者ハ打首也。」
この記述から、江戸時代の平戸領では森が良く守られ、豊富な種類の樹木が繁茂しており、特に松、杉、楠の三種は「御用の三木」と呼ばれて大切にされ、勝手に切る事は犯罪でしたが、なかでも楠は、ある程度の大きさに成長すると帳面に記載され、勝手に切った場合の刑罰も「打ち首」という厳しいものでした。
 楠がそれ程大切にされた背景には、樟脳の生産があった可能性もあり、津吉には昔、樟脳作りを生業とした「樟脳屋」があったそうです。しかしより重要と考えられるのは建築材としての用途です。独特の芳香を持つ楠は、虫を寄せ付けないため最高級の用材だったと考えられます。ただ枝が曲がりくねっている事から、ある程度真っ直ぐな材を取るためには、相当成長した大木が必要であり、大切に保護された事が考えられます。そうして伐採された楠材の用途も、平戸藩主が認めた特別な建物の建築のみに、使用が許されていたのではないでしょうか。つまり当時の人は、楠の材が使われているのを見ただけで、その建物や、建物を建てている施主の事をリスベクト(尊敬)したと思われるのです。恐らくは、伐採した楠からまず用材を取り、材が取れない枝や葉を使って樟脳が製造されたのではないかと推測しています。2016.3