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 生月学講座 No.145「網掛突取法」

 島の館も開館して早や二十年が過ぎ、歳のせいか、開館前後の事を思い返す事があります。当時もっとも苦労したのは、他の地域には殆どない「かくれキリシタン信仰」を理解する事でしたが、生月に来る前から研究していた捕鯨にも、展示にあたって学問的に乗り越えなければならない多くの「壁」がありました。
 その一つが捕鯨法(漁法)の名称です。江戸時代、生月島を本拠とした益冨組の操業を支えたのは、大きな網を鯨に掛けて予め動きを封じてから、銛・剣で突く漁法でした。江戸時代の初めに西海で捕鯨業が始まった頃には、まだ鯨網は使われておらず、鯨を待ち伏せたり追跡しながら、いきなり銛・剣を突く〔突取法〕でした。しかし突取法では銛を打っても速く泳いで鯨船を振り切る鯨も多かった事から、延宝5年(1675)に紀州太地で鯨網と網掛の技術が発明され、翌年には大村の深澤組がそれを西海に導入し、普及します。この漁法の名称は、従来「網取捕鯨」「網取式捕鯨」と呼ばれてきました。鯨網を用いる特徴から着想されたようで、古くは文化5年(1808)に大槻清準が制作した『鯨史稿』に「網ニテ取リ」という記述が見られ、明治30年(1897)に開催された第二回水産博覧会の審査報告にある、紀州捕鯨の歴史を概説した文章の中にも「網取法ノ発明アリ」という記述が登場します。さらに福本和夫が昭和35年(1960)に刊行し、ながく日本捕鯨史研究の基本文献とされた『日本捕鯨史話』に、「網取法による捕鯨業時代」という時代区分が設定された事で、用語として広く普及していきました。
 しかし「網取」という表記には問題がありました。鯨網を被った鯨は、そのまま何もしなければ逃げ去るだけで、その後に銛を突いて船を曳かせて体力を奪い、剣で突いて仕留める事で、始めて捕獲できます。つまりこの漁法に取って網や網掛は、鯨を捕獲する中心的な漁具・技術ではなく、あくまでその後の突取の効率を上げるための補助的な漁具・技術に過ぎないのです。最近、長崎大学の山口恭弘先生から奨められた『水産海洋ハンドブック』には、漁獲を目的として直接効果を収める道具・装置を[主漁具]、漁獲の最終段階で使用する、漁獲効果を高める、主漁具の省力化・省人化のための道具・装置を [副漁具]と定義していますが、この漁法の場合、漁獲効果を高める漁具である鯨網は副漁具に該当し、主漁具はあくまで銛・剣になります。その点で「網取式」という用語は、網を主漁具のようにイメージされ勝ちで、英訳でも「Net Whaling」となってしまうなどの問題があります。さらにこの漁法と別に、網を主漁具とする〔定置網法〕や〔断切網法〕などの捕鯨法が存在する点も問題です。例えば長州(山口)の捕鯨史研究では、網を用いる断切網法と網掛突取法を同じ「網取法」と括った上で、時代的に古い断切網法の記録を以て網掛突取法の始期を古く捉えるような主張が、過去なされた経緯があります。
 このような混乱を避けるためにも、漁法の定義や適切な用語の設定は重要だと考えます。私は、土佐(高知県)室戸の浮津組の宝暦9年(1759)の史料に登場し、和歌山の太地亮先生も使われてきた〔網掛突取法〕が、より適当な名称だと考えています。 (2015.8)