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 生月学講座 No.139「生月島民の安満岳信仰」

 今日(2015年3月1日)、「生月島キリシタン信者と行く平戸巡礼」というバスツアーが開催されました。主催は「生月島キリシタン伝承会」という、旧元触辻垣内のかくれキリシタン信者の有志で結成された団体で、平戸市が共催していました。行程は、春日、根獅子、安満岳を回るもので、一番の見所は、安満岳頂上の奥の院で、元触の信者さん達がオラショを唱えるのを見物するというものでした。元触のオラショがこういった形で公開されるのは始めてで、参加した方々からは、大変興味深いツアーだったという感想が寄せられていました。

 生月島のかくれキリシタン信仰の中では、こうした形で安満岳を詣る事はありませんでした。今回の行事は、信者さんが、独自に発案して実施した新しい信仰要素という位置づけになります。しかし思い立たれた理由というのもあって、一つは、オラショの申し上げ(神寄せ)の中に、「安満岳の奥の院様」という名前が出てくる例がある事と、もう一つは、生月島の人が、以前から安満岳を「お山様」と呼んで信心の対象として、大勢が参拝を行ってきた事があります。申し上げについては改めて触れることにして、今回は、生月島民の安満岳信仰について紹介します。

 安満岳の頂上には白山神社が鎮座していて、春と秋に大祭が行われています。中野地区に氏子がいますが、生月島からも遠洋まき網や大敷網(大規模定置網)の関係者が、現在も大勢参拝しています。昔から、安満岳に参拝する際の主要なルートは、中野の坊方から主師に向かう道を上り、途中、山野への入口の所にある一の鳥居をくぐって参道を上り、東の方から三の鳥居の前の広場に出て、石を積んだ参道を歩いて神社に至るものでした。しかし生月からは、橋が架かる以前は、舘浦から船で白石や春日に渡り、尾根筋を通る道や、春日の棚田から上る道を通って山野の先まで上り、さらにそこから山頂目がけて上って、北西側から三の鳥居前の広場に入る道も使われました。三の鳥居から先の参道は、石を積んだ土手道のようになっていて、その部分は裸足で歩かなければなりませんでした。春日で伺った話ですが、秋の大祭の時は、昔は舘浦から大勢の参拝者が渡ってきていたので、安満岳に登る山道を、あらかじめ春日の家1軒から1人ずつが出る形で掃除していて、生月の人達からお礼の酒が渡されていたそうです。

 生月の中には、安満岳を信仰する「お山講」というのがありました。例えば山田集落日草にあったお山講は、もともとかくれキリシタン信仰の組(垣内)だったものが、同信仰の組として解散した後、発足したものでした。

 舘浦で盆明けの16日に行われる盆踊り(須古踊り)の時にも、舘浦の中にある潮見遊園地(公園)で、お山(安満岳)に対する奉納踊りを5回行う習わしがあります。この奉納踊りを行う際は、比売神社の神主が遊園地に隣接する石丸家で、踊りを見てもらうために安満岳の神霊を迎える神事を執りおこないます。須古踊り唄の中にも、安満岳に向かって歌う「花」という唄がありました。その唄の歌詞は、次のようなものでした。「花よ花 花よ花 向えの山の岩躑躅 背は細けれど花 は咲き候(そよ)」2015.2