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 生月学講座 No.137「かくれキリシタンの元日行事」

 生月島のかくれキリシタンの組である津元・垣内では、正月に行事が行われます。壱部の津元では、大晦日のうちに御前様を飾って重ね餅を供え、元旦の朝には小組の代表である役中が寄ってオラショを唱え、酒肴と雑煮などをいただきます。堺目の津元も大晦日に飾り、餅を供えるのは同じですが、元旦には一般信者が年始詣りを行います。元触の津元では、元旦に一般信者が年始詣りをする時、重ね餅を持参し御前様に供えます。山田では予め餅を宿の御前様に供えておきますが、行事は三日に行い、組に属する家の戸主が寄ってオラショを唱えます。いずれの組でも下げた後の餅は切って、オラショを唱えながらお水を振り、信者に戻しましたが、その餅は病気を治す薬餅になると言われています。

 元旦の行事は、単純に捉えると日本の伝統に由来するものなので、禁教時代に導入された変容のように考えられてしまいますが、実は、キリシタン時代から行われていた事が、有馬の状況について述べた次の記述から分かります。

 「 すなわちこれらの(東洋の)国々では新年を祝宴と奏楽によって祝うのであり、戸口や街路を枝葉の束で飾り、互いに居宅を訪問しあって祝詞を述べるのが古くからの習わしである。また、既述の祝いには或る異教の祭儀が結びついているために、多くの日本人はキリシタンになってからは、たとえ異教の祭儀を取り除いても、あえて新年を祝おうとはしなかった。したがって異教徒が喜び親しい人々を訪ねる時期に、キリシタンたちは歓喜の情をまったく表さず、むしろ教法に反するものとして避けていた。異教徒はそれをひどく嫌悪していたし、我らの教法は、これほど広く世間に知られた日に祭礼を行うことも、しかるべき礼儀を払うことも禁じていたので、人々は我等の教法はいとも厳格なものであると考えていたが、このことは不信心な国主の所領に住む多くの異教徒が改宗するのを妨げることにもなりかねなかった。これを知った巡察師は或る民族から古来の習慣を一掃することがいかに困難であるかを重視して、日本人キリシタンが異教の祭儀を混同することなく新年を祝う何らかの手立てを講ずるよう望んだ。したがって巡察師は、古来の異教の汚れた祭礼を日本人のキリシタンが今後忘れてゆくように、何か厳粛な祭礼をこの日に設けるよう司祭に懇願したのであり、異教徒に固有のことをしなければ、デウスの掟は日本の新年を祝うことを禁ずるものではないことをキリシタンに公言する必要があると訴えた。司教はこの件について、我らの司祭らと検討し、司祭全員の意見を徴した上で、日本の新年にあたるその日に厳かな祭礼を執り行なうことを定めた。そして輝かしい聖母マリアを日本全土の比類なき守護者と見なして同祝日を「お護りのサンタ・マリア」と名づけ、これを日本の陰暦における良き新年と考えたが、聖母によりいっさいの善が我らにもたらされたからである。」             〔一五九九〜一六〇一日本諸国記〕

 この記録を見ると、イエズス会の宣教師が日本人の元日に対する意識を反映して、キリシタン信仰の中で元日を「お護りのサンタマリアの祝日」として設定された事が分かります。生月島の津元・垣内の正月元旦の行事は、このお護りのサンタマリアの祝日を祝う行事が起源となっていると考えられるのです。2014.12