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 生月学講座No.189 「益冨家住宅の保全」

生月学講座:益冨家住宅の保全

平成31年3月で、生月島壱部浦に残る江戸時代の鯨組主・益冨家住宅でおこなわれた一連の建物緊急保全事業が完了しました。益冨家住宅は、壱部浦の集落内の広い敷地に主屋(嘉永元年、1848建設)、座敷(18世紀頃建設)、御成門(同)、恵比須神社(文政8年、1825建設)などの建物が現存する他、蔵などの建物の遺構や庭園が残されています。敷地は平成20年に「鯨組主益冨家居宅跡」という名称で長崎県史跡に指定されましたが、保全事業も県指定と時を同じくして始まりました。きっかけは主屋の大屋根に雨漏りが発生した事でした。それまでも小規模な屋根の修理はおこなわれてきましたが、老朽化で屋根に歪みが生じ、雨漏りの原因箇所も突き止められない深刻な状態になっていたのです。改修に県や市の補助は期待できましたが、それでも所有者には多額の負担が生じる事になります。御当主(当時)の益冨哲朗さんにご相談した所、先祖から預かった由緒ある建物を未来に遺さねばならないというご判断で工事をおこなう事となり、翌21年度には主屋の下屋(側面の屋根)の改修もおこなわれました。
 工事に際しては、神奈川大学教授の(故)西和夫先生、長崎総合科学大学教授(当時)の林一馬先生、同大准教授の山田由香里先生など古建築研究の権威の方々が指導に見えられましたが、益冨さんも先生方から益冨家住宅の特徴について詳しく伺って建物の価値を再認識され、やはり老朽化していた座敷建物の改修をご決断されます。平成23~24年度におこなわれた座敷の改修は、上げ屋をして基礎部分を整えた上で屋根を含めた建物の修繕をおこなう大規模な工事になりましたが、その過程で、現在2部屋からなる建物が、かつては座敷、次の間、控えの間の3部屋からなる接遇空間であった事が確認されます。
 翌平成25年度には、平戸藩主を迎えるための御成門の改修がおこなわれ、破損して傾いた門を解体して土台を整え、材を取り換えて建て直す工事をおこないましたが、その際に土中からかつての門の下回りが出土しました。発見したのは工事に当たっていた中野ハウジングの棟梁・村上恭二さんで、確認された漆喰の面などを地中に保存した上で、地上に再現していただきました。
 平成26年度からは恵比須神社の改修がおこなわれます。最初に調査がおこなわれましたが、幕末に作られた覆屋のおかげで、江戸時代後期の豪奢な社殿建築がよく保存されている事が確認され、平成28年には「益冨家恵比須社霊殿」の名称で神社が単独で県の有形文化財に指定されました。平成27年度には破損が進行していた覆屋が新造され、29、30年度には社殿本体の下回りの改修、屋根と拝殿の再建がおこなわれました。
 益冨さんは一連の改修の完了を心待ちにされていましたが、最終年度の30年夏に還らぬ人となります。古式捕鯨業時代、日本最大の鯨組だった益冨組は、平戸藩の経済を支え、生月島をはじめ周辺地域の多くの人の暮らしを成り立たせました。そうした歴史は今や忘れられつつありますが、益冨組の経営や漁労の先進的な取り組みには、学ぶ事が多いように思います。益冨さんの御英断と大きな御負担のおかげで、生月島、そして日本捕鯨史のかけがえのない財産である益冨家住宅は、未来に受け継がれる事になったのです。(2019.4)