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 生月学講座 No.134「かくれキリシタンの農耕行事の起源」

 生月島のかくれキリシタン信仰では、農業に関係する行事も見られます。各集落の津元・垣内(組)で行われる年中行事の中には、「田祈祷」「麦祈祷」「作前」など、稲作や麦作に関係した行事が行われています。壱部の春の「六ヶ所寄り」行事の際には、「作のサービャー除け」のオラショが唱えられますが、サービャーとはサ蠅、つまり稲に付くウンカのような害虫の事で、それが稲に付かないよう祈願する目的でオラショを唱えたものです。山田で初夏に行われる「風止めの願立て」は、田植え後に虫や風の害が無いように中江ノ島に参拝・祈願する行事で、「風止め願成就」は「出来穂の願成就」ともいい、収穫後に願成就を報告する行事です。以前にも取り上げた山田の「ハッタイ様」行事も、田植え時期に河口を祭場にして行われた水神祈願の行事ですが、山田では他にも、日照りの時に、山の上に親父役が籠もって雨が降るまでオラショを唱え続ける「雨乞い」も行われていました。また昔、耕作に使われていた牛の通り道や放牧地などを祓う「野立ち」も、各集落で行われていましたが、これも広義の農耕儀礼に含まれるかも知れません。

 現在のカトリック信仰の中では、これらの農耕行事は行われていない事から、禁教時代に始まった、他の宗教や信仰の影響を受けた変容の所産だとする見方もありました。しかし平戸地方の他の宗教・信仰の行事の中に、同じ儀礼の形の行事が見られないため、これらの行事はかくれキリシタン信仰で独自に継承されてきたものだと思われます。一方、野外で行事を行う事については、声を出してオラショを唱える事などとともに、生月島が江戸時代、捕鯨業が盛んで、鯨組からの税収が藩の財政を支えていたため、目こぼしをされていたために残ったとよく言われてきました。しかし、平戸藩でキリシタンの弾圧が行われていたのは1600〜1650年の間なのに対し、生月島で捕鯨業が本格化するのは1720年代以降なので、年代的に合いません。

 そもそも野外で行われるこうした行事が、禁教時代から始まったとは考え難い所があり、禁教以前のキリシタン信仰当時、既に行われていたと考えるのが自然です。キリシタン信仰の中で農耕に関係する行事が行われた事については、1596年の下天草の信仰について記したフロイスの報告の中でも確認できます。これによると、教会堂の聖母マリアに稲の害虫退治を祈願したり、溜池からの通水開始に際しオラショを唱えている事が分かります。特に興味深いのは後の事例で、通水開始の際に行われる行事(「井出祭」とか「池祭」と呼ばれる)は、以前は修験者(山伏)が行っていたのを、信心会への加入を期に、キリシタン信仰の行事に切り替えたとされています。裏返して見ると、信心会への加入以前には、キリシタン信者の溜池の池祭も修験者がやっていた事となり、初期の下天草のキリシタン信者は、教会堂でキリスト教由来の祭礼に参加しながら、農耕関連の行事については、在来宗教者が関与する従来からの形で続けていた訳です。2014.9