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 生月学講座 No.133「鯨銛考2」

 西海漁場の網掛突取法で用いられた銛は、早銛と萬銛の2種類でした。早銛は、銛先の長さが2尺(約60㌢)、重量100匁(約0.4㌔)程、柄の長さ1丈2尺(約3.6㍍)の比較的軽量の銛です。この銛の用途は『勇魚取絵詞』によると、鯨網に気づいてためらう鯨に投じて脅かして網に突っ込ませたり、親子鯨の子鯨の方を最初に突いて逃げられないようにして、親子共々取る場合などに用いる補助的な役割の銛です。なお土佐漁場の早銛は、網に掛かった鯨に投げ、綱を付けて船を曳かせるのに用いるとされ、紀州の早銛も一の銛に用いていて、銛先の重さも50匁(約0.2㌔)程だといいます。
 萬銛は、西海漁場では鯨の体力を奪うのに用いた主要な銛です。17世紀中頃、突取法の段階から使用され、網掛突取法導入後も主要な銛として用いられ続けています。西海の萬銛の銛先(鉄で出来た部分)の長さは約4尺(約1.2㍍)でしたが、重量は950匁(約3.6㌔、呼子本条家資料)、1貫(約3.8㌔、『小児の弄鯨一件の巻』『鯨魚覧笑録』)、1貫100匁(約4.1㌔、「小川島捕鯨大意書」)、1貫500匁(約5.6㌔、『勇魚取絵詞』)と、史料によってばらつきがあります。特に生月島の益冨組は重量で小川島組の1.5倍の銛先を使用しています。なお紀州の萬銛は銛先重量800匁(約3㌔)に過ぎません。
 西海の網組の勢子船・持双船には、早銛と萬銛が各2本づつ搭載されていました。しかし紀州の鯨船には多種多数の銛が搭載されていました。種類でも早銛(銛先重量50匁、1の銛)、差添銛(重量同じ、柄が少々大きい、2の銛)、下屋銛(重量同じ、3の銛)、角銛(銛先重量100匁、多く打つ銛)、三百目銛(同300匁〔約1.1㌔〕)、手形銛(同500~700匁〔約1.9~2.6㌔〕)、萬銛(同800匁)、柱銛(同500匁〔約1.9㌔〕、銛綱が帆柱に結ばれている)、錨銛(同、銛綱が錨に結ばれている)などがあり、勢子船には20本以上の銛が搭載されていました。
 網掛突取法は紀州太地で発明され西海に伝播した事が分かっていますが、紀州と西海で何故これ程、銛の種類や数が異なるのでしょうか。一つには紀州の網組が、突取のみでも鯨を取る備えを重視していた事が考えられます。例えば太地には、網から逃れ出た背美鯨や児鯨(克鯨)を追跡しながら突取で仕留めたという太地五郎作氏の話がありますが、突取だけでも捕獲が可能だった背美鯨や抹香鯨は、突取のみで捕獲する場合が多かったのかも知れません。しかし網に掛かった鯨にも、紀州では雨霰のように銛を打ち込んでいますが、これは網の掛け方が影響している可能性があります。沖合で網を建て回して鯨を包囲する紀州の網張り方法では、鯨が逃走する確率が大きかった可能性もありますが、遊泳する鯨の周囲に迅速に網を建て回す必要性から紀州の網船はさほど大きくなく、網も西海に比べて小ぶりだったため、動きがさほど鈍っていない鯨に対して多数の銛を打ち込む必要があったのかも知れません。一方西海では、鯨を決められた網代に追い込む形を取っていたので、大型の双海船で大きな網を張る事ができました。そして大型の網を被って動きが鈍った鯨には、少ない萬銛を投じて船を曳かせるだけで良かったのかも知れません。2014.8