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 生月学講座 No.108「キリシタンの組」

 これまで生月島で二十年近くにわたり、かくれキリシタン信仰の調査をしてきましたが、ここの状況を以て「かくれキリシタン信仰というのは、このようなものだ」と思い込んでしまっている処もありました。しかし近年、他の地域のかくれ信仰について調査する機会を得た事で、生月島のかくれ信仰についても、「実はこうだったのではないか」と考え方を改める処がでてきました。

 そのように見方が変わった事の一つに、組織の問題があります。生月島では一つの集落の中に、津元・垣内と呼ばれる数十軒の信者の家からなる組が複数あり、専らお掛け絵などの御神体を祀り、年間を通して多くの行事を行っています。また津元(垣内)の中には小組・コンパンヤと呼ばれる数軒の家からなる組が複数組織されています。小組はお札(聖母マリアの生涯を15の場面で表した木札のセット)を御神体とし、定期的にお札引き(おしかえ)という行事を行っています。なお生月島には、集落の単位で「御爺役」という、洗礼や信仰の指導を行う役職が何人か置かれている事から、集落単位の組の存在もおぼろげながら確認できます。このように生月島のかくれ信仰では、集落単位、数十軒単位、数軒単位からなる大中小三つの規模の組の存在が確認できます。

 それに対して平戸島西岸の根獅子では、集落全体で一つの組が組織されていて、その長である辻元様と、洗礼を行う役である水の役7名が行事を行ってきました。また集落の中には数軒の家で組織された小組・慈悲仲間という組が複数あり、生月同様、お札を御神体にしています。しかし生月島の津元・垣内に相当する組は存在しません。

 根獅子の組織のあり方を検討した時、生月島の組織は、時期を違えて成立した異なるスタイルの組が組み合わさって成立したのではないかと思うようになりました。それを裏付ける答えは、宣教師が残した書簡から見つけ出す事ができます。それには日本でカトリックの布教が始まって間も無い16世紀中頃以降、集落毎に建てられた教会に付帯し、信者の統括を行った「慈悲の組(ミゼリコルディア)」という組が組織された事が記されています。慈悲の組には代表者として複数の慈悲役が置かれ、教会の管理や信仰指導の他、葬儀や洗礼に関わる事柄を行っていましたが、それはこんにちの御爺役(水の役)の業務と重なります。つまり生月島や根獅子の集落単位の組の起源は、キリシタン時代の慈悲の組という事になります。また宣教師の書簡には、慈悲の組の中で、日曜毎に信者が集まって信仰について話す事が行われていたとあり、この組が小組(コンパンヤ)の起源と考えられ、特に根獅子で小組の事を「慈悲仲間」と呼んでいた事は、この組が本来、慈悲の組の下部組織であった事を示しています。

 一方、生月島における津元・垣内の起源は、16世紀末以降、マリアや特定の聖人等を信心する目的で新たに設立された「信心組(コンフラリア)」だと考えられます。セミナリヨでは1590年頃から、信心の対象物となる聖画が多数製作されるようになり、それが各地の信心組に配布されたと考えられますが、生月島の津元・垣内のお掛け絵は、こうした聖画信心の形を継承したものと捉えられます。なお生月島では、新たに信心組を組織する時に、元々あった慈悲の組の下部組織である小組を、複数結合して組織したと考えられるのです。